一念天堂–安泰寺接心体验

这是我第四次来安泰寺,第二次参加接心体验了。所谓“接心”就是长时间的坐禅,在接心期间,不能说话,不能洗澡,全身心投入到坐禅的状态当中,吃饭,睡觉,走路,都是禅,安泰寺的接心为5天,每天从凌晨4:00开始,到晚上9点结束,一天15个小时,每天三个轮回,两顿饭。 这么苦的接心为什么今年还要回来,我也是考虑很久才下的决定,算上来回,一共七天的这一个星期,确实很不容易,但是这没有手机,没有电脑,不用工作,不用说话,不用洗澡,只与自己在一起的几天,又显得尤为的珍贵。 安泰寺很特别,很少有禅寺像安泰寺,他们的饭菜很香,每次走的时候都会胖个几圈,当然这次也例外。去年11月份来参加接心的时候,觉得每天这么辛苦肯定没有时间在早起练习,所以去年的这几天“只管打坐”,没有练习,但是今年,第一天坐下来,第二天就浑身疼痛,起不来床了,在临出门的前10分钟,我简单的做个几个太阳礼拜,太神奇了,第二天的坐禅与第一天相比,完全不一样了,于是,从那天开始的接下来的几天,每天早上临出门以前,简单做几个太阳礼拜,几个站立体式,练练呼吸法,简单完成序列,不到15分钟的练习,让这几天都精力充沛,坐禅精神集中,整个体验完全改变。 这次最大的一个体会就是“一念天堂”,坐禅的时候,如果什么都不想,只关注于当下正在经过的一分一秒,就会精神特别集中,很舒服,虽然从天黑坐到天黑,身体处于长时间的静止状态,但是觉得精神很自由,自己与周围的一切融为一体,虽然面对的是一堵墙,但是好像看到了周围人一起打坐的样子,也看到了远处的山,听到鸟儿的叫声,和阵阵微风吹过树叶,自由,没有束缚,应该就是这样的吧。感受不到一点身体上的疼痛,但是,一旦思想涣散,精神不集中,各种问题就接踵而来,一会儿困的不行,一会儿浑身疼痛,渴了,饿了,想去洗手间,想动又不能动,想直直腿也不行,真的很痛苦。 一念之间,天堂地狱。 tadā draṣṭuḥ svarūpe ‘vasthānam

Osaka Castle Park Yoga & Zazen

Yoga & Zazen Time: Every Sunday 6:30 am. Place: Osaka Castle Park 隠し曲輪 Youtube Live: https://www.youtube.com/c/sendaba Come to the park to find us, or join us on Youtube live on Sunday morning at 6:30. ヨガ&坐禅 日時:毎週日曜日午前6:30 から 場所:大阪城公園❮隠し曲輪❯ Youtube ライブ:https://www.youtube.com/c/sendaba 大阪城公園までお越いただくか、Youtube ライブをご覧になりながら私たちと一緒にヨガと坐禅をやってみませんか。 瑜伽与禅 时间:每个星期日的早上 6:30 地点:大阪城公园 隠し曲輪 YouTube  同步在线直播: https://www.youtube.com/c/sendaba 快来加入我们吧~🧘‍♀️

The Story of My Lotus

来日当時は岡山に住んでいました。神戸へ引っ越しするまでの2年間、ずっと「曹源寺」という禅のお寺の坐禅会に通っていました。毎週日曜日朝五時半に起きて、雨が降らない限り夫のクリスと一緒に自転車でお寺に行きました。そのお寺は山奥の遠いところにあり、私たちは自転車を山の梺に停めて、お寺まで青々とした竹林の中を通り抜けて山道を登って行きました。坐禅会はもちろん楽しかったのですが、家からお寺までの自然の風景も楽しみました。毎週日曜日はまるで別世界にいるようで、リフレッシュすることができました。  神戸へ引っ越してからも曹源寺のことを懐かしいいなあと頻繁に思い出します。3、4年前にクリスは仕事の関係で岡山で会議があり、私も一緒に行きました。良い機会だと思い、神戸へ帰る前にホテルでもう一泊し、曹源寺の坐禅会に参加させていただきました。  坐禅会が終わった後、以前お世話になっていたおじいさんやおばあさん5~6名と一緒に、お寺の蓮の世話をされているおじいさんの家でお茶をいただきました。そのおじいさんやおばあさんたちはこのお寺の近所に住んでいて、20、30年ほど毎週日曜日の坐禅会に通っています。本当に素晴らしいことです。お茶会をの最中に私は皆さんに質問をしました。 「お寺で社会人も勉強できますか?私は禅を勉強したいです。」 お寺に30年ほど通っているメガネをかけたおじいさんは、そんな私に質問してきました。 「なぜ禅を勉強したいのですか?」  「わかりませんが、ただ勉強したいんです。」  「勉強しないとだめですか?」  「そうじゃないんですが、お寺に泊まって、禅の生活を体験してみたいんです。」  「禅の生活と普通の生活にはどんな違いがあるんですか?」  「………。」 その時の私は、答えられませんでした。メガネのおじいさんはこう言われました。「禅の勉強は必要ありません。人生を生きることが禅であり、 あなたの人生そのものが禅なのです。ご飯を食べるときは食べる。掃除をするときは掃除する。寝るときは寝る。特別なことではないのです。あなた自身の人生について学ぶことが禅を学ぶことなのです。」 On the way to Sogenji  その日、帰り際に蓮のおじいさんは小さい種を二つ私の手のひらに置いてくれました。そして、「きちんとお世話したら、蓮ができますよ。」と言われました。蓮の種を初めて見たので栽培方法も分かりませんでした。好奇心でいっぱいになりながら大事に家に持ち帰り、禅のお寺からいただいた貴重なプレゼントとしてここ3、4年保存していました。最近になって植物を育てることに興味がわき、蓮のおじいさんからの種を思い出し、先月二つの種を開けて、水の中に入れました。たった1ケ月ほどで蓮の葉っぱがかなりいっぱいできるとは夢にも思いませんでした。マトラの先生は小さい蓮の葉っぱは「オン」の音ができると言われましたが、果たして私の蓮の葉っぱにはできているのでしょうか。 vande guruṇāṃ caraṇaravinde sandarśitasvātmaskhāvabodhe |janasya ye jāṅgalikāyamāne saṃsārahālāhalamohaśāntyai || sadāśivoktāni sapādalakṣa-layāvadhānāni ca santi loke |nādānusaṃdhānasamādhimekaṃ manyāmahe mānyatamaṃ layānām || sareca-pūrairanilasya kumbhaiḥ sarvāsu nāḍīsu viśodhitāsu |anāhatādamburuhādudeti svātmāvagamyaḥ svayameva bodhaḥ || nādānusandhāna namo’stu tubhyaṃ tvāṃ manmahe tattvapadaṃ layānām |Continue reading “The Story of My Lotus”

When you pratice, you are doing yoga

今週の勉強会では、本当に坐禅をするのか、坐禅するふりをするのか、ということについて討論しました。 坐禅するときに雑念を抑えるのではなく手放すことができればいいのですが、手放すことが一番難しいと思います。何かをするより何もしない方が難しいです。’Let it go’、ただ座るだけが坐禅の練習だと思います。 ’Let it go’できなくても、坐禅をするふりも坐禅です。10分間、30分間、あるいは1時間座って、心に雑念がたくさんあっても、体は座ったままなのです。定められた時間内は雑念を抑え体を動かさないことが目標ですが、手であちらこちら触ったり目をキョロキョロさせても、座っていれば坐禅であり練習になり、悟りを開けると思います。座ることで禅の道に向かって行くと思います。 ヨガの練習も同じだと思います。「アーサナ」を完壁にできなくてもヨガの練習になります。”When you pratice, you are doing yoga”アーサナをできてもできなくても練習は練習です。世界中全てのものがヨガといっても自分自身がマットの上に立たない限り自分に対しての練習にはならず、ヨガをするとは言えません。 ヨガにおいて、アーサナの練習は必ず必要です。アシュタンガヨガ8支則の順番としては「ヤマ」、「ニヤマ」、そして三番目「アーサナ」がきます。「アーサナ」は一番目の練習ではないのですが、ヨガの練習は「アーサナ」から始まる、とSharathji が会議で何回も言われました。「アーサナ」の練習は大事なのです。「Mantra」や「Puja」など様々なヨガの練習方法がありますが、口で言ったり心で思うだけではヨガにはなりません。 「身心合一」。坐禅やヨガにも練習すること以外に近道がありません。アーサナの安定により心も落ち着き、ドリスティ(視線)に落ち着きがないと精神集中もできず体も安定しません。実際にアーサナを安定できなくても経験することがヨガの練習になります。精神集中ができていなくても経験があれば練習になります。これをヨガと言うのです。 道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の教えには迷いと悟りは一体であり、迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある、とあります。ヨガも練習の中にヨガがあり、ヨガの中に日々の練習があるのです。 『正法眼蔵随聞記』 面山本・二の十四(長円寺本・三の十一) 今週の勉強の部分です。